牧野 弼成(まきの すけしげ)は、丹後田辺藩の第10代(最後)の藩主。丹後田辺藩牧野家11代。

経歴

嘉永7年(1854年)8月23日、第9代藩主牧野誠成の長男として生まれる。明治2年(1869年)に父が死去したため跡を継ぎ、6月に版籍奉還により藩知事となった。このとき、紀伊田辺藩との混同を避けるために、田辺を舞鶴(のちの舞鶴市)と改名している。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で藩知事を免官された。後に子爵となる。
1916年(大正5年)2月7日に隠居した[1]。大正13年(1924年)6月23日に死去。享年71。