歴史
牧野家のルーツは諸説あるが系譜書・家伝によれば鎌倉時代まで遡り蘇我田口朝臣蝙蝠(そがの たぐちのあそん かわほり)が祖という四国阿波国の豪族・紀姓田口氏の後裔という。戦国時代までに三河牧野家として主に東三河の宝飯郡を中心に渥美郡・八名郡の一部を含む地域に分布した土豪として栄える。歴史に大きく名前が登場するのは戦国時代、戦国武将であり徳川家康の家臣であった牧野 康成(やすしげ)、通称 牧野半右衛門である。 徳川の伊賀越えにも随行するなど多くの功績を残し牧野 信成(なりしげ)、牧野 親成(ちかしげ)へと家督を引き継いでいく。 牧野 親成は京極家に代わり、寛文8年(1668年)に牧野親成・富成兄弟が摂津国より3万5000石で入城し藩主となる。
以後、幕末まで牧野家歴代が同藩で封を重ね、明治維新を迎えた。明治2年(1869年)の版籍奉還に際して舞鶴藩と改称された。明治4年(1871年)7月の廃藩置県によって舞鶴県となったが、まもなく再編により消滅している。旧藩主家は華族に列し、子爵に叙せられた。
田辺藩 牧野家 譜代 3万5千石 (1668年 – 1871年)
- 親成(ちかしげ)
- 富成(とみしげ)
- 英成(ひでしげ)
- 明成(とししげ)
- 惟成(これしげ)
- 宣成(ふさしげ)
- 以成(もちしげ)
- 節成(ときしげ)
- 誠成(たかしげ)
- 弼成(すけしげ)