牧野 宣成(まきの ふさしげ)は、丹後田辺藩の第6代藩主。丹後田辺藩牧野家7代。

生涯

明和2年(1765年)7月8日、第5代藩主牧野惟成の五男として江戸で生まれる。長兄の則成は病弱で廃嫡され、次兄の武成と三兄の福成は早世し、四兄の満成も病弱だったために世子に選ばれ、天明3年(1783年)に父が死去すると家督を継いだ。
寛政の改革では老中首座・松平定信のブレーンとして幕政に参与した。藩政では田辺城三の丸に藩校・明倫斎を創設して(後の明倫館)学問を奨励し、藩士子弟の教育振興に努めた。寛政4年(1792年)には80歳以上の百姓・町人に褒美を与え、凶作に備えて備蓄制度を整備している。文化元年(1804年)8月22日、病気を理由に家督を長男の以成に譲って隠居する。
文化8年(1811年)3月19日(江戸幕府の記録では3月29日)に江戸で死去した。享年47。